北海道炭鉱研究会 羽幌炭鉱支部

朔北のヤマ 羽幌炭鉱

『石炭羽幌』と『築炭ニュース』

『石炭羽幌』は1949年(昭和24年)に『築炭ニュース』として誕生し、

当初は築別鉱業所(築別坑)のニュースを中心に取り扱いました。

その後、羽幌鉱業所(羽幌本坑、上羽幌坑)での業務拡大に伴う1953年(昭和28年)の第42号での改題を経て、

閉山する1970年(昭和45年)までの間、継続して発行された羽幌炭礦鉄道株式会社の機関紙です。

その内容は会社の近況を知らせるものだけではなく、町政道政のニュースや実業団の活動報告、

近隣小中学校の行事案内、更には短編小説や四コマ漫画など多岐に亘っており、1960年(昭和35年)時点では月2回 6~16頁で約3,100部発行されていました。

 

残念ながら、『築炭ニュース』と『石炭羽幌』は現在閲覧が難しい状況に置かれています。

国立国会図書館には第1号のみマイクロフィルムでの所蔵、

北海道立図書館には第101号から第200号までの合本の所蔵。

これ以外には非公開の所蔵があるのみで、閲覧や収集を行うことは非常に困難です。

 

北海道内において機関紙を発行していた炭鉱を見てみると、

1960年当時で北海道炭礦汽船株式会社、三井鉱山株式会社、

三菱鉱業株式会社、住友石炭鉱業株式会社、太平洋炭礦株式会社などの大手炭鉱に加え、

中小炭鉱だと羽幌炭礦鉄道㈱系列の月形炭鉱、昭和電工株式会社の豊里炭鉱で発行されているのみであることから、

多くの北海道の炭鉱の中でも珍しい存在であることが分かります。

 

では、羽幌では如何なる理由で機関紙が発行されるようになったのでしょうか。

その理由を示す記述が『石炭羽幌』に掲載されていました。

 

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こうして誕生した『築炭ニュース』と『石炭羽幌』。

その紙面からは羽幌炭鉱というヤマのあらゆる記憶が蘇ります。