北海道炭鉱研究会 羽幌炭鉱支部

朔北のヤマ 羽幌炭鉱

築炭ニュース 第28号(昭和26年12月15日)2面②

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『「修理工場でない-製作工場だ」と意気まく 修理工場』

活気のある職場といえば先づ修理工場があげられよう。なんと云つても金属を扱うだけに一寸やそつとの力量技倆では切り廻せないだろう。係長以下二十名の係員が親しみ合い助け合つて働いているのは本当に心強く感じさせられた。一寸邪魔して係長と二、三の人に話をうかがつてみると「修理工場なんて古くさい名前ですよ。現在では修理どころかすべて製作ですからね。職場名も製作工場とでも改めてほしいものです。」と仲々きびしい。

「苦労した仕事と云いますと忘れもしませんが七月から八月の下旬にかけて本坑十八のぼりの扇風機の据附けをした時ですが、運搬から据附けまでの皆の苦労は大したものでした。昼間はエンドレスが使えないので夜に全員動員して運搬作業に当つたのです。さてその次は山へのし上げるのにまた一苦労。十七のぼりの約五十度傾斜で八十米のコースを引上げたのですが、あんなスリルもめつたに味わえません。その時困つたことにはウルシかぶれが続出したことです。中でも岡本君はひどかつたがまあ皆よくやつて呉れました。」と佐藤さんや戸澤さんは云つていた。

「そうですね希望と云いますと休憩所と洗面所を早く設備して欲しいのです。それに困るのは各職場と違つて伝票を出せば直ぐに製作して貰えると思つてヂャンヂャン催促が来ることです。吾々の技術面の苦心もいさゝか考慮し理解して戴きたいものです。人員の補充もして欲しいと思います。」

鉄砲をとつては他のヒケをとらぬ佐藤さんやスキーヤーの戸澤さんも仕事になるといろいろな苦労があるようだ。

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『冬はスキーで断線修理 電工詰所』

暮近くともなればなんとなく気ぜわしいもの、各工事の先鋒をあづかるこの電工詰所の業務はまた格別のようだ。

たまたま多忙な仕事の余暇を見計つて樋口さんと二、三の電工さんに話しを聞くと「どこの職場も秋からはとても忙がしいと思いますが、電工詰所では何しろ仕事の幅が広いだけに終日きりきり舞をしています。雪が深くなつて動きがとれなくなる前に各外線の整備作業やら工事の配線作業やらで猫の手も借りたい程です。一番苦労した仕事といゝますと、去年の暮から正月にかけて苫前からの送電線が吹雪のため断線した時には夜つぴいてスキーばきで補修に行きあごを出しましたよ。」

「希望と云うよりお願いと言いますか、各職場で予め計画してここの詰所の手を借りる工事などはもう少し早目に連絡をとつて戴きたいと思いますね。それにこれは一寸無理かも知れませんが、突発的な作業に当り人員の補充を要する時なぞ直ぐにくり出せる定員以外の人員が欲しいですネ」と係長はもらしていた。」