石炭羽幌 第42号(昭和28年6月15日)1面
発行所
北海道天塩国苫前郡羽幌町築別御料上流(電話羽幌15番)
羽幌炭礦鉄道株式会社
印刷人 金子長次
『改題』
久しく皆さんより御支援をうけて参りました築炭ニユースは社業発展に伴い皆様の御期待に添うようその内容に於て益々我々の身近かな親しめる機関紙として発展し拡充しなければなりませんので旧築炭ニユースを本号より”石炭羽幌”と改題して発行することになりました。
今後とも何卒ぞ旧来に倍し御鞭撻下さるよう御願い申上げます。
『出炭実績』
-5月-
築別鉱業所 90.8%
羽幌鉱業所 91.0%
『日誌』
五月
一日労働組合定期大会、十三日公民舘運営委員会、十八日災害千割運動中間報告会、二十日料理講習会、二十三日健康保険組合役員選出その他打合せ会、二十六日保安委員会、二十八日生産協議会、三十日山神祭行事打合せ会、札幌鉱山保安監督部長より一-三月災害千割運動実施成果に対し表彰状を受く
『人事往来』
四日日本鉱業連盟廣瀨職能課長管理者講習に来山、七日北光繊維武田常務業務打合せに来山、十三日札幌通産局淺田技術課長炭礦調査に来山、二十日村井旭川配電支店長業務打合せに来山、二十二日北海道庁教育課高山主事新生活実践運動の件にて来山
<写真>◎勢揃い -炭山祭-
『市況悪化に喘ぐ炭界』
一~四月の異常な増産と荷渡しの低下によつて全国貯炭は三百十一万トン(五月十日現在、通産省調査)に達し六月上旬には経済貯炭の限度と目される三百五十万トンを突破するものとみられている、かゝる情勢を返映して石炭市況はいよいよ混乱の度を増しているが、最近の市況と業界の動向は次のようである。
『経済貯炭三百五十万トン突破は必至 中小炭礦では乱売』
『市況』
国鉄の四~九月炭価交渉で纒つたトン当り中少六百円、大手四百円引き(前期比)の値段は鉄鋼、セメント、ガス等の大口消費者の新価格の基準と目されているが、末端消費市場では中少炭礦ものが多いだけによりはげしい変動を示している。
昨秋ストによる貯炭不足で高騰したが四月頃より大口消費者の重油転換、特需不振、貯炭の増加等に依り急激に低下し正常な取引以外では半分位の値段で落札されているところもあり金融面に弱い中小炭礦はダンピングを余儀なくされている。
一方消費者は景気の停滞を背景に貯炭増-炭価下落を見越して一斎に買控えの態度をとつてをり、一-四月の急激な増産の結果坑所、港頭、の貯炭は急激に増加し全国の積出港は満腹となつている。
『増産態勢-増産抑制-減産 出血防止に懸命』
『業界の対策と動向』
昭和二十八年度の当初出炭目標は五千二百万トンと見込まれていたが需要不振、重油転換、輸入炭の圧迫によつて四千五、六百万トンが限度とみられ、従つて一-四月の五千二百万トン出炭目標から一割三、四分の減産を行うことは必至とみられている。
然し業界全体が減産の方向へ同一歩調をとることは独禁法との関係があり、又鉱山によつても事情の複雑なところから共同歩調は困難であり、まず販路の固定した大手筋が自主的に「販売能力に応じて堀る」方針を決め、
一、基準外労働をやめさせる。
二、坑内夫の減耗は補充しない。
三、炭質を向上する。
四、非能率の坑口、炭礦を休廃止する。
五、希望退職者を募集する。
等の順序で減産態勢をとつている。
いづれにせよ不況の深刻化によつて各社の収益が減りそのためコスト引下げの唯一の方法とされ竪坑開発、設備の近代化など本格的合理化に必要な資金調達に支障を生じることが憂慮されている。
『道内貯炭激増 八十三万トン』
石炭協会道支部の需給速報によると道内貯炭は依然として増加してをり五月末には坑所二十四万二千二百トン市場十七万千四百九十四トン計八十三万二百九十トンに達している。四月に対比すると坑所が三万三千トン、市場が五万一千トンといづれも激増してをり、この八十三万トンの貯炭は昨年夏場のピーク約七十七万トンより六万トン多く、このまゝでは九月末には過去のピークよりも増加するものとみられている。
『名雨線 新設五線に入るか今後の運動に期待』
名雨線敷設陳情の為羽幌町橋詰助役、江野町振興会長、呑谷町議の一行は名寄、幌加内の関係町村と共に上京、鉄道審議会、関係官庁に運動を行つていたが去る六月二十三日帰町、運動経過を次の通り語つた。
全国で鉄道審議会に対し二十九年度分として新設陳情を行つているものが四十線北海道関係が十二線となつている。目下鉄道審議会に於て新設線のリストを作製中であり北海道は五線、名雨線の場合この中に採択になるよう運動を行つているもので成否は今後の運動如何に懸つている。
『本社部移転』
今春着工六月三日上棟式を行い内部塗装中の山元本社事務所(一〇四坪)は七月中旬竣工移転する。
『築別ダム建設 風光明美な観光地帯が出現』
<地図>
昨年決定をみた築別ダムの建設は五月中旬より二ケ月間の予定で測量に入つている。
これは築別炭礦駅より約二粁の地点で築別川を堰止め築別原野の水田灌漑用として設けられるもので総工費約一億円、三ケ年に亘つて建設されるもので、今年度は測量及び工事小屋設置の予定で着工は来年度の見込みである。又このダム建設に依り風光明美な湖上遊覧池が出現し炭礦地帯の水道用水の供給は勿論養魚等が行はれる。
『町役場築別支所吉本水道係長談』
水道用水は是非ダムからとりたい。そうすれば雨降り時のにごり水で悩むことはなくなる訳です。
『エンドレス』
石炭業界は危機に直面している。九月以降暖房炭の需要期に入ればいくらか好転するという見通しもある。
朝鮮の停戦を契機とする世界の経済状勢の大きな転換は必須の模様である。
中共炭、樺太炭の格安輸入も考慮されるであろう。貯炭の増加、炭価の値下りは単に生産制限のみでは決して防禦出来ないであろう。
社会全般が石炭価格の引下げを要望している。炭礦は自主的にこの情勢に対処する勇気を必要とし、勇気を所有する炭礦のみが生存するであろう。
今日程全従業員の責任感を企業が必要とする時期はない。
違法行為でないならは、或はそのことが他に知られなければ、というような考えで無責任な行為をする者が一人でもあれば必ず企業全体を破滅せしめるであろう。
出血を伴わぬコスト引下げの具体的方法は我々の日常にいくらでもある。それには責任感に徹することが前提条件である。
築炭ニュース 第41号(昭和28年5月15日)8面
『私の読書 津村ヱツ』
若い頃はそれでも、百読自ら通ずなどといつて、解らないようなものでも読んだものです。
漱石が好きでほとんど二回位読んでいます。今でも読みたいと思つています。独歩や子規、長塚節などのものも興味をもつて読みました。
かるい随筆や自伝風のものもすきで、手あたり次第に読んだものです。円本が出はじめた頃のことで随分前の話です。
この頃はよく家庭の主婦も時間を見つけて一日に一、二時間の読書は是非と耳にも目にも致しますが、なかなかまとまつたものは読めません。あれこれと思つてはみても、結局週刊雑誌や月刊雑誌のひろい読み程度というところです。
手近に書物がないということもありますがやつぱり雑事が多すぎると思います。ゆつくりしないと読めない性なので-
子供達が今少し大きくなつて生活が簡単になつたら、その時は、あれもこれもと慾ばつて頭の中に積み重ねていますが、さてその本と頭が思い通りになりますやら、結局読書に縁の遠い一生で終る私なのかも知れません。
(築別鉱津村機電課長夫人)
『随筆 再軍備と青年 H生』
今度の選挙でも再軍備云々と各政党の大きな看板となり国民も大いに関心を示していた。ところが軍備の中枢となる青年層の考え方はどうかというと再軍備賛成ではあるが、非常に面白いといおうか、切実といおうかデリケートな考え方を持つている。
賛成は四十、五十才代の人と変りないが、然し四十、五十才の人の考え方であるところの世界状勢とか植民地化などから抜け出さなければならないとか、外国からの侵略を防ぐため、どうしても軍備しなければならないという考え方ではない。現在の生存競争の激しさ人口過剰の直接、身近に感ずる問題から来ている。
就職難、上役がつかえて上れない。耕作する土地がない。これらのものをいくらかでも解決してくれると思はれる再軍備が賛成で、戦争の一つも、おつぱじまつてほしいのである。賛成だから自ら進んで兵隊に行つて職業化するとか、一生懸命やるつもりがあるのかというと、とんでもないことだ、他人に行つてもらいたいのである。これが現在の青年の再軍備に対する考え方の大部分をしめているのであると思う。
新聞、世論、野党にさんざんたたかれているが、自由党のいう保安隊は軍隊でないという、あくまで国内治安の保安隊で軍隊とは現在の世界状勢から押して二十年間の軍需物資を確保していなかつたら軍隊といえないといつているそうだが、現在の世界状勢からいつてそうかもしれない。
然し徴兵の準備とか何十万かの陸海空の軍備計画が出来ているというが、軍備の基礎論は別として、ある人の言を借りれば失業救済といつているが青年層の考へ方からいえば、対象が若い溌溂とした青年であるから現代の青年の悩みを幾分なりとも解決してくれるかもしれない。
むじゆんした青年の考え方、これが本当の人間の考え方でもあり世相を反映しているのかもしれない。
『私の紙屑籠から 僕のスポーツ感 北邊野人』
最近というよりも前からスポーツのあり方について色々と批判がなされています。近来ますますその技術や記録が高度化されていくにつれ、単なるアマチユア活動の範囲に於て果してその記録に追随して行くことが出来るかどうか、記録向上のための練習量の問題が直接アマチユアとして運動にのみ注がれる時間の量の問題となつてくる。学生として社会人として生活の主題と以外に求めるべきアマチユア、スポーツの限界の問題である。
ノンプロ等というのが其の中間的申し子である。国際色の完全に回復した最近のスポーツ界に於て技術、記録の優位が問題になるのは当然である。又一方リクリエーシヨンとしてのスポーツの広範囲の一般化にともなう、健康であり、娯楽であり、交際であるスポーツの普及である。
双方ともスポーツ愛好者の私にとつては毎日のニユースとして、生活を豊にして貰つている訳である。私のスポーツの経験は二十年も昔のことになるのであるが、当時も非常にスポーツが盛んで、国際試合も多く、一般人の熱狂度も現在に勝るとも劣らなかつたが、只一つ現在程亨楽的でなかつたという点で、大いに差異を認める。
現在程スポーツと他の催し物との見物人の気持の差が少なくなつてはいなかつた。それは勿論プロ、スポーツの大発展が大部作り出した空気ではあろうが、同じ野次でも騒いでも、明らかに劇場とスポーツとの空気は歴然と違つていた。結局言いたいことは、所謂プロ、スポーツ的な気分と、相対的なリクリエーシヨン的な気分とが現在のスポーツの心の中に食い込んで、純粋なスポーツ精神を弱くしているのではないかということである。
敗れたからとはいへ古橋の練習量についての批判、橋爪、鈴木の表彰台上での態度に対する批判(オリンピツク批判の一部)にしても、あまりに戦後の一般的な気持の上を上滑りしているのではないかと思はれる。
(つづく)
<一コマ漫画>『定時制のんき大学 第二講 ほどほど先生』
馬と人の違いは随分たくさんございます。ダガネ、たくさん働けば、たくさん食つて、生殖作用を行つて、つかれれば眠つて何だかよく似ています。ただし、マージヤン、パチンコ、囲碁、将棋など致しません。
さて皆さん、かんじんなことを忘れやてしませんか。馬と人と何処が違うんでございましよう。よく考えて社会人として落第しない様に致しましよう。
<スローガン>健康増進 身の福利 元気で出勤 にこにこ退社
『名刺』
日本人ほど名刺を監用したがる人種も一寸珍らしいそうだ。何かとゆうと名刺の交換をして山となる。外国のエチケツトに通ずる人達の話では、日本人はやたらに名刺を出すがアチラで名刺をくばるのは保険屋かガスの集金人ばかりだそうだ。
それはともかく日本人がはじめて洋式の名刺をつかつたのは万延年間(九三年前)幕府から使節としてアメリカに派遣されは新見豊前守らがはじめてであろうといわれている。
この名刺は桑の皮で作つた紙質で巾三寸長さ六寸程というから相当大きなものである。
名刺の使い方
(イ)むやみやたらに名刺は使はないこと。
(ロ)招待に出席したら一週間以内に御礼の名刺を先方へ届けるのが礼儀。
(ハ)職業生名刺には自宅を印刷しないこと
『三月号懸賞発表』
築炭ニユース三月号野菜、植物の名称正解者多数につき抽籤の結果左記の方に賞品を贈呈致しました。
戸澤京子、西山十孔、庄中優、庄中淸、永原孝則、山口正則、竹村正雄、齋藤一郞、酒井繁盛、小林正秋
『災害をごまかすな』
諸君は、当然さけることが出来た災害をさけないで死んだ人を見たコトがあるか。
ケガしなくてもよかつた、いわんや死ななくてもよかつた、過失というものがわれわれの職場でくりかえされている。
「当然さけるコトが出来た」職場のケガは大部分がコレである。不可抗力というコトバでごまかすべきでない。
『かたつる句会 -五月集-』
船木北秋
鶴はしの肩に五月の背広着て
つるだこの掌が空色のネクタイ結ぶ
鯉口あけて五月の風を頬ばり過ぎる
農婦若く耕馬に風も逆らはず
渡辺一聲子
吹流し五色は平和の旗ならん
笑う如矢車春風の空を馳け
厚群来素足の漁婦に陽が若く
野村吾郞
稼ぎ終えシヤツは明日を待つ竿に
炭車過ぎて斜坑の口は障子の様
月山かつを
妻打つた掌は此の宵に捨つるべし
主婦としてあざみの快よき痛さ
鉛筆のしんが太いよ雨続く
上原淸
鰊が忘れた海の漁婦の焼く鰊
春だから孤独の心を手帳へしまふ
いつも同じに座つてしまふ四角な室
去来まかせていらぬ扉を心に立でる
『安全詩』
『昨日もそうであつたように 宮添正博』
昨日もそうであつたように
今日も愉快に一日を送ろう
毎日決つた仕事場で
繰返す同じ仕事も
単純と云いきれない
何か大きなものを含んでいる
目だたなくとも
この生活を意義あらしめる
しつかりとした人格を作りあげよう
健康には充分注意し
綺麗さつぱりとした仕事場で
怪我しないよう心がけ
わずかながらも
微力を平和産業の捨石としよう
妻がいる子供がある
これら弱い者の力強い味方となつて
昨日もそうであつたように
明日の太陽を双手をあげて迎えよう
『自由詩』
『力が湧いてくる 小出實』
いま、始業五分前
私はこの手を
この足を
じつと見つめる
何かしら言い知れない
大きな喜びが
そして底力が
湧いてくるのを覚える
今朝もまた
ちいさな手をふつて
門辺に送つてくれた
我がいとし子
夕べひたすらに
無事を祈つて
帰えりを待つ
我が母
そして底力が
湧いてくるのを覚える
築炭ニュース 第41号(昭和28年5月15日)7面
『こども』
『他地区に先きがけて 感心な末広地区の夜巡り学生』
乾燥期を迎えて消防団も家庭も一体となつて防火陣を張つているが学生も黙つていられないと全地区のトツプを切つて末広町の五分団(団長、中学三年生、永原悟)以下八名、六分団(団長、中学三年生、戸澤眞)以下八名が四月二十日より受持地区を夜巡りしてをり、関係者は感心している。
『童話』
『道夫君の鯉のぼり 文 風間よしお』
正男君の家の前に、今朝すばらしく大きな鯉のぼりがたちました。一尾、二尾、三尾、全部で五尾が空に泳いでいます。一番上には吹ながしも長く尾をひいています。さおのてつペンには、矢車もガラガラと音をたてて廻つています。
正男君の鯉のぼりは道夫君の家の窓からとてもよくみえます。道夫君はうらやましくてなりません。お毎さんに「ネ、お母さん、ぼくの鯉のぼりも早くたててよ……」とお母さんにねだりました。お母さんは、チラツと窓から正男君の家の鯉のぼりをみて「そうだねあした、キチおじさんに頼んで、たててもらいましようネ」といいました「わーツ、よかつた、よかつた」道夫君は大よろこびです。
さあお母さんは大へんです。というのは道夫君のお父さんは、もう八年も前に戦争で死んでしまい、それからというもの、ずつとお母さんはひとりで働いて道夫君をそだててきているからでした。
鯉のぼりも新らしく買うといえば相当なお金がかかります。三年前には一度買つて、センタク竿につけてたててやつたのですが、安い紙の鯉のぼりを買つたので去年風にちぎれてしまつたのでした。
今年たてるにはどうしても新らしいのを買わなければなりません。
実のところお母さんはこの春から少し身体のぐあいが悪くて思いきり働けなかつたので今、鯉のぼりを買うお金などは全然ないのでした。それでも道夫君が窓からみえる正男君の立派な鯉のぼりをうらやましそうにみているのをみては、何とかして一尾でも買つてたててやらなければ…と思うのでした。
キチおじさんにたててもらうといつたのは道夫君をとても可愛がつてくれている近所のおじさんで、去年センタク竿につけて、たてている道夫君の鯉のぼりを「よし、来年はおじさんが丸太を貸してたててやるゾ…」といつたからでした。
翌日、道夫君が学校からかえつてきてみると、道夫君の家にも立派な鯉のぼりがたつていました。赤い大きな鯉がバタバタと風の中に泳いでいました。
「わーツ、すごいぞ、すごいぞ」道夫君は大よろこびです。お母さんは今朝、着物を一枚シチ屋へ持つていつてお金を借り、それで鯉のぼりを買つてキチおじさんにたててもらつたのでした。それはお母さんにとつて大事な着物だつたのですが、お母さんはその大事な着物よりも、道夫君が風の中に泳ぐ鯉のように元気で喜び、そだつてゆく顔がみたかつたのです。
<スローガン>
おそろしい、でんせん病をふせぐため「ごはん」をいただくとき、手を洗うことにしましよう
『子供教室』
『軽石はどうして出来るのですか』
神礁の爆発のときにも軽石が沢山出来たと新聞に報道されておりましたが、軽石は火山の噴火のとき噴き出される岩石の一種で、ドロドロの熔岩の中にはガスや水蒸気がたくさんとけこんでいて火山が吹き出すときには水蒸気やガスの気体が熔岩の中で泡になり、この泡が非常に多い時に軽石になります。
それは軽石の中にある海綿のようなすき間の中に、はじめから残つているガスや、あとから入つた空気があるので水よりも軽いのです。しかしすき間の中に水がしみこんでしまうと、沈んでしまうことがあります。
『わたくしのつづりかた』
『母の日』
『いつまでも元気でいて下さい 太陽小学校三年星組 佐藤直美』
お母さまありがとう、私はお母さまにおれいをいいます。家にはおとうと、とおにいちやんと私とお母さんと、四人かぞくです。
お母さんはお父さんがなくなられてからまいにちあさ早くから夜おそくまでマーケツトではたらいています。そして私たちを、そだててくださいます、お母さんのつかれている顔を見ると私は、ごくろうさまと心の中でいいます。
お父さんがいらしたら、いいなあと思うことがなんどもあります。
このあいだお友だちの家にあそびにいくとき、おとうとをつれて行きました。その時お友だちがお父さんやお母さんと仲よくあそんでいるのを見て、ほんとうにうらやましいと思いました。でも私はお母さんが家をあけてもぜつたいにさびしいとはいいません。お母さんが、かわいそうだからなみだが出てもこらえています。
早く大きくなつてお母さんのおてつだいをしてやりたいと思います。少しでも……
「母の日」がちかづきました。私はなにをしてお母さんによろこんでいただこう。お母さん、どうぞ、いつまでもお元気でいて下さい。
『お母さんごくろうさま 太陽小学校三年星組 村中淸子』
お母さま、おとうさんがいないのでほんとうにさびしいですね。いもうとの、のりこがいるとお母さんは、はたらきに行けないので古丹別へあづけました。のりこはかわいそうなんだけど……家には幸男とお母さんと私と三人です。あさ早くお母さんは私たちのためにはたらきに行くと、私と幸男と学校へゆきます。
私がとうばんなどでおそくかえると、おとうとがさびしそうにまつています。ゆうがたになると私と、おとうとはお母さんのかえるのがおそいので、ごはんをたべてさきにねてしまうのです。早くねてもお母さんのはたらいているすがたが目にうかび、泣いたことがなんどもあります。だけど私はがまんします。お母さんごくろうさまおとうさまがいれば、はたらかなくてもいいのにね。
今日もおけががないようにお元気でかえつて下さいといのります。私もお父さまがいないと、どうしても仕ごとをよけいしなければなりません。お母さんいつしようけんめいお手つだいをします。いつまでもいつまでもお元気で私たちのそばにいて下さい。
『知識の泉』
『日本の祝砲のはじまり』
今皇太子様が英国のエリザベス女王の戴冠式に出席する途次欧米各国を訪れ盛んな歓迎を受け、その国の入国に際しては各国とも祝砲を放つて敬意を表していますが、日本の祝砲の始りは明治元年で、その頃外国の軍艦が横浜に入港すると祝砲を打つことになつた。最初なんの用意もないので、にわかに市中のゴロツキ二百人ばかり狩りあつめて大砲の打ち方を教え、鶴見の砲台から、かたちばかりの砲を放つたのがはじまりだということです。
『楽しい人形の作り方 お人形鉛筆』
<図>
ちよつとした布で、鉛筆をかざると、あなたの勉強がよりよくたのしくできます。
<図>
①頭布を切ります。薄い布の絹とか、目のつんだ木綿で作ります。
②まわりをぬい、中に綿をまるめていれ、しぼつてまるい頭を作ります。
③服布は、鉛筆の色と合つたきれいな色をえらんで、上の図のようにぬい。
④ぬいしろを中に入れて糸をひいて縮め、
⑤頭のぬい縮めたところを上にして図のように下にしつかりととじつけます。
⑥極細毛糸を少々とり頭の上にのせてとじつけます。顔をかわいく書きましよう。
⑦帽子の布を切ります。布が薄いものだつたら、画用紙にノリで両面にはりつけて使います。厚いものだつたらそのまま下を図のように切ります。
⑧布をつぎ合はせにして、糸でとじ合せ、
⑨頭のうしろにノリをつけ、帽子をはりつけます。
⑩帽子をかぶせないものは、とき毛糸を頭にノリではりつけ、両脇に分けて図のようにリボンで結びます。
中学生はこの作品を作つて太陽中学校へ出品して下さい。
上手に作れた方には賞品を差上げます。
築炭ニュース 第41号(昭和28年5月15日)6面
<標語>一日の最後のつとめ火の用心
『婦人 え田中画伯』
『美容室』
『毎日を美しくする化粧下地の作り方』
現代女性のお化粧で大切なことの一つは時間をかけないということで、それには何といつても普段の身だしなみがものをいい、外出先での化粧直しも下地が悪ければ一寸の間に美しくなるような早変りは絶対に出来ません。
では常に心がけねばならぬこととして、毎週きまつた洗髪は勿論毎日ブラツシをかけておくこと、就寝前にはクリツプをすること、爪は何時も切揃えておき、ハンドローシヨンで手の荒れを防いでおくこと、肌は石けんなりクレンジング、クリームで清潔にし、ねる前に栄養クリームをつけることを忘れぬことうぶ毛を除き、余計な眉毛はぬいておくこと等などです。
以上のような下地が出来ていれば外出前外出先での化粧も簡単に手取り早く美しくなることが出来ます。
『サンドペーパーで軽くこする コテ光りの消し方』
洋服や着物のある部分がすれたり、アイロンをじかにかけたりして、生地が光つたときにはまず、ほこりを払い、その部分にうすくきりを吹き、さらにその上に布(白天竺二枚位)をおき、熱したアイロンをかけます。
これだけの工程でも消すことが出来ます。なおまだコテ光りが残つている場合は、サンドペーパーでその場所を軽くこするか、また少し毛のかたいブラシでこすつておくと、よほどテカテカしたコテ光りも目だたなくなります。
ギヤバジンやサージの洋服はことにこのコテ光りが目立つものです。人の目にいかにも洋服地がつかれきつた感じを与えますから、時々手入れのときにこの光りを消しておきたいものです。
『今の子供のしつけ 藤田一郎』
学校から帰つたばかりの子どもが、畳の上にランドセルは放り出してあり、帽子の中にはくつ下がまるめこんでぬぎすてゝあるのを母親が見とがめました。
――母親は昔、子供の頃本は大事にするもの、踏んだり、またいだり、物をおきすてたりしてはいけないとかたくいましめられ、その習慣が身についていました。ことに学校の教科書はとりわけ大切にさせられ、また頭の上に乗せるものと、足の下にふみつけるものと、帽子とくつ下などを一しよくたにするなどは考えも及びませんでした。
――ものにはうえしたの別があること大切なものは大切にするという考え方を我が子に実行させたかつたので、そのふるまいを叱つたら「そんなこといいじやないか」とめんどくさそうに、意外な強い坑弁をうけました。母親はうろたえましたが、我が子のために帽子かけも整理箱もろくに備えなかつたことに気がつきました。
『家庭メモ』
『季節向き フキの酢物』
あまりくたくた煮ない方がおいしい、ナベに入る大きさに切つて熱湯でサツとゆで、皮をむいて切り、タマゴの黄身をダシでのばしカタクリ粉でトロリとさせたものに酢で味つけし、フキにのせる。これは季節向きな酢物。
『野草のアク抜き』
これからはツクシ、ワラビなど野草の摘み草の時期です。両方ともアクを抜かないと食べられませんが、これらのアク抜きにはグツグツにるよりもまず熱い木灰をたくさんのせ上から熱湯をかけて、そのまましばらくおいてから、ほんサツと手早く湯がくとよい。
『智能と嘘 杉山義雄』
何か書くようにと依頼があつた、どうも随筆は不得手で何時もお断りするのが習慣みたいになつているが時のはずみというものは恐ろしい熱心な勤労課の松本氏の巧みな誘導戦にころりとかけられつい引受けてしまつた。承諾した以上責任は私が背負はねばならない、そこで「明るい人生を願つて」というわかつたようなわからないような題で思いつくまま百天竿頭一歩を進める気持で筆を執つてみることにする。
よく「頭がよい」「あの人はいかれている七分位だ」というのを耳にする。同じ場所に同じナスビの種を蒔いてもボケナスビになつたり稀にすばらしいのが出来るように人間も生れてくる者すべて頭のよさを同一に持つているとはいえない、ここに智能の良悪について様々な相違が出る。
現在のような深刻な世智辛い世の中を切抜けて生活するには高い智能は別としても、一搬より低い智能を持つた人の場合余程よい環境でない限り社会の外へはね出される。
はね出されることは結局生活することが出来ないことを意味し、生きんが為には非合理的生活手段に頼らねばならぬことになり此処に種々の犯罪も発生するし例へ犯罪まで行かなくても社会に何等かの陰影を与へることになるだろう。
この智能の高抵に智能検査という方法があつて田中式A、B式と呼ばれる種々の検査方法で検査するのである。その結果智能指数という数字が出てこの数字が多い程智能が高く、少い程抵くなるという訳で、智能指数百が一般の基準、普通の智能を持つものと見られ百より数字が多くなるに従い智能もそれだけ高くなるのである。百四十位の指数のある者は天才、百三十-二十は秀才と呼ばれ此の程度の成人及び子供を持つ親に対しては私は心から祝福したい。何故ならばこの級の人々は政治的、経済的或は社会的地位から言つて容易に此等のものを獲得出来得る恵まれた能力を持つて生れているからである。
勿論放任していても以上の如き社会的に優位な立場を得るとは云うつもりはない。特に子供の場合、ある程度の経済的な背景と健康に対する絶えざる注意及び真剣な合理的躾が必要で、もし此等を怠れば磨かざれば光らないのは宝石のみでないことを銘記すべきである。又智能が天才秀才の実力があつても情操及び意志が欠けている時は社会生活にうまく適合出来ない。大学を一番の成績で出た者がすべて出世していない処に考えねばならぬものがある。
ともあれ意志情操方面に於て相当の躾がなされていれば官大を卒業する位は困難でない、言いかえれば高い智能の者は教育の仕甲斐があるといえよう。此処で特に注意しなければならぬ問題がある、それは智能の高い者は一般に人を見下げ易いという傾向がある端的には、からかつてみたいし馬鹿にしてみたいのである。親が子を一般の人が狂人や抵能者をからかうことはよく見られる現象である。
而も智能が高い為にからかいの手段も理路整然として、うつかりするときれいにだまされる。こんな例がある、知人の小学校五年の女の子供さんが、ある日さも驚いた顔で飛んで玄関から駈け込み母親に「お母さん大変今ね六年生の男子が学校の屋根から真逆さまに落ちて、頭がグチヤグチヤになつて死んで学校は大騒ぎしているわよ」……都市の学校は高層建築が多い決してないことではない、お母さんはすつかりびつくりしてPTAの役員の一人であるから早速学校へ電話した処がそんな珍事は更にないとのことである。誠にうまく騙されたのである。嘘と気がついた時その子供さんは「やーいお母さんも騙されたのね、私時々皆を騙してみるのとても面白いわ」と一応誰が聞いても嘘と思はれない嘘言をやつてのける。
かゝる傾向は勿論よくない、然るに特に父親に多いのであるが自分の子供の頭の良いのが嬉れしくない親はないので、子供のかかる行為を自慢の対象として周囲の人々に吹聴し子供の優秀さを誇示しようとする場合がまま見られる。このことは暗々裡に子供の嘘言を承認し更に奨励することを意味する外の何ものでもない。子供にとつてこの種の嘘言は正当なものでむしろ親を悦ばせると思うことになる。
かくて嘘は一回より二回三回と重ねて遂には嘘言癖にまで発展、而もこの種の嘘言は前述の如く合理化され正当なものとして受取られ易い性質のものである故に、若しかゝる嘘言癖の子供が成長し社会へ入つて来た時この嘘言を社会に利用する場合は詐欺罪が発生する。詐欺は正当な報酬として金品を収受するのでなく努力を廻避、口先で目的を達成するのであるから智能の高い者が多く利用する訳で子供のこの種の嘘言を発見した場合は非合理的であることをよく諭して再び繰り返さぬよう躾ける必要がある。
『DDTの使い方』
DDTは一九三〇年にスイスのガイギー染料会社でパウル、ミユーラー博士によつて苦心創成されました。スイスではこれを農業殺虫に用い偉大な効果をあげ、アメリカでは太平洋戦争のジヤングル戦に使つて襲来する害虫の大群を絶滅し多数の兵士を伝染病から救いました。この功績によつて博士は一九四八年度ノーベル賞を援与されました。
科学的に非常に安定した物質で長い間日光に曝しても空気中においても、水にあつても揮発したり変化することはなく効力が落ちません。撒布後一-三ケ月間は充分に効きます。(BHCは永続性がありません)
DDTは除々に作用し効果があらはれる迄半時間から数時間かかりますが、その為害虫は体にDDTが附着してもすぐに気がつきませんから、撒いたDDTは後から後から触れては殺されてゆきます。
『殺虫力』
DDTは人間や家畜等の温血動物には毒性は弱く冷血動物の害虫類には極めて毒性が強く、皮膚から吸収され口から入れば微量でも神経機能を犯して確実に殺します。以上の特徴からまさに理想的な殺虫剤といはれる訳です。
『蚊や蠅』
などは私達の生活を不愉快にするばかりか、恐ろしい伝染病を私達にうつします。例へば蠅はコレラ、食中毒、腸チフス、再帰熱等をうつします。
蚊は水溜りや湿地、草むらなどに発生しますから液剤又は粉剤をここに広く撒布する必要があります。蚊の成虫は壁、天井、部屋の隅々、軒下、風呂場、流しもと等に好んで止りますので坪当り約一五〇CCの液剤を噴霧器で撒布するか刷毛でぬります。たつぷり撒いたDDTの液剤は乾いた時に薄い皮膜としてのこり、一-三ケ月は効果が失せませんから止つた蚊はそれに触れて死にます。尚夏は寝る前に部屋を締め切つて液剤を撒けば蚊帳を釣らずにすみます。
蝿の発生場所は塵溜め、便所、肥料置場などですから粉剤又は液剤を定期的によく撒くことです。屋内の壁、天井、家具などに液剤を噴霧しておくと、止つた蠅を殺します。便壺は特に周囲によく撒くとウジから成虫になつたところを殺すので効果的です。
『のみ』
は畳の目や床下、くず入れなどに卵を生みます。普通暑い時は二-四日ほど寒い時は十二日ほどで幼虫になります。幼虫は十二日ほとで蛹となり更に十二日ほどで成虫となります。この対策としては粉剤を坪当り五〇-六〇瓦ほど畳の下、床下の地面、布団、衣服などに万遍なくまきます。犬や猫には粉剤を十瓦ほど毛の中へよくすりこんでやります。
『しらみ』
にたいしては、服は着たまま、頭髪や布団には直接粉剤をまきます。しらみは低温(五℃程の際)はDDTの効目が低いですが体温ぐらいではよく効きます。卵は衣服の内側のヒダに附きますからよくすり込んで洗い落さぬようにします。一人に一回五〇-七〇瓦程使用し、卵のかえるまで(十-十四日)洗い落さぬか、くり返し撒布すれば絶滅出来ます。
だにや家だにの駆除もしらみと同様に御使用下さい。
其の他の害虫にも上記の例を応用すれば完全に絶滅駆除することが出来ます。
『経済的』
なDDTの使い方は
①一斉に万遍なくタツプリ撒いて撒く回数を減らすことです。速効性はあつても瞬間的な殺虫剤を毎日撒くのとは違つて一-三ケ月毎に撒けば、手間も省けて薬の量も案外いらないものです。
②DDTは本来幼虫殺虫剤といはれる程幼虫に対する効果は絶大です。害虫の発生前に撒けば幼虫がかえるたびに殺されてゆきます親の百匹より子の一匹です。
『人畜』
にはあまり害はありませんが、多量に口から入つたり皮膚から吸収すると障害をおこしますので、①作業はマスクを掛けてすること、②飲食物飼料等にかけないこと③液剤が皮膚についたら石鹸で洗うこと、炎症が起つたら塩水につけること。
築炭ニュース 第41号(昭和28年5月15日)5面
『文化』
『隣組の再認識 山井一夫』
政府当局は隣組の組織活用を奨励もしないが特に禁止するつもりもないといつている。
隣組が戦時中特に利用されたというだけで今日、これを禁止せねばならないと云う必要はない。ポ政令で禁止されたものだから不必要と云うならばこれは更に愚の骨頂であることは勿論である。
だが他面、都会の中では女同志が顔を合せても挨拶一つせぬような所も大分増えた。せめて向う三軒両隣り位は互に住居を接している以上は朝夕の挨拶位はするのが気持もよいしまた便利なことが多いであろう。下世話にいう遠い親類より近い他人とはこの間のことをいうのであるが、隣組はこの向う三軒両隣りの少し範囲を大きくした位の家々が自然発生的に生活の協同体として機能を持つならば一番よいのではないかと思はれる。
先づこれからは隣組とは家族をまとめた家と家とが互助の精神のもとに生活を豊にするよう物質、精神の両面で協力して行くというような自然的結び合いをなしつゝ自発的に訓練して行く、そして家と家との互助はやがて家を形成しておる人と人との結びつき融和なくしては成立することが出来ないことを十分知るのでこの方面に好影響をもたらすのである。
昨今、隣組について日本再軍備の為の即ち徴兵制度再開の為の準備としてこれに反対する向き向きも、赤い連中の間から出ているようだ。
日本の隣組なるものも戦火ことに敗戦の洗礼を受けた今日では、竹竿や蠅たゝきで、消火バケツをリレーで送るのが隣組の仕事だとはもう思はない。
現に田舎では「講」とか単に組と云うような昔の名で部落部落の寄り合が旧の如く復活している。これは即ち隣組であるがその要求があつて復活しているのである。
近代化された隣組、金のかゝらない、そして民衆に生活と文化それに活気とをもたらせるような未端組織の民主的再組織を考えてもよい時に来ているように思うのである。
『安全と年令との関係』
安全と年令との関係につき、かつてアメリカで次のような「安全年令」表を作つたことがある。

『労働学校講座②心理哲学 よい社会の基礎 伊佐津和平』
日本の今日の状態は世界の種々のものが入つて来ている、特に第二次大戦によつていろいろのものが取り入れられている。
然し種々のものが入つて来てあれもよいこれもよい、いやあれも駄目だと我々は何を研究してよいかわからない、アメリカに言わせると悪いものばかり研究しているという、尚更我々はわからなくなる。
むつかしいことは極めて狭い原理に立つている。これは経営にとつては勤労者は欠くべからざるものであるという原理の如く私達に欠くべからざるものを話して見たいと思う。
個性というものは「成長するにつれて発達する器管、機能」で親から子と子孫が続き現在の自分というものが出来た。ところが大自然の環境というものは其の間に変化して来ている。自然、家庭社会の各環境に左右されて生活し、自分の行く道を考へ器管や機能を運用する人間であるから、よりよい環境と幸福な生活を創造しつゝ自己の人格を完成するというようにして来た。
二十億年前に原始生物が発生、五千万年前に高等哺乳類が出て七千年前に人間が出現、人間が出るまでは自然性というものが出来ていて人間の出現によつて人間性、即ち自由性というものが出来た。
ところが知性が覚性して意思の自由を与へられたが人間は自由を乱用、逆用したため反自然的非社会的行為をする矛盾のため再び自由を失つてしまつたのである。
ここに於て人格の完成が問題となり三千二百年前にモーゼによつて秩序の創始が始められ今日フランス其の他の国々の憲法の基礎となつている、二千四百年前「釈迦」によつて自然性を究明、二千二百年前にソクラテス、プラトンなどによつて文化の価値を明確にし一九二〇年前にキリストによつて矛盾を克服、人類に自由を与へたのであるが古来から自然性と自由性の対立は二律背反の無限論争と言われている。
人間の大脳は種々の働きをする。頭の前部の発達している人は前叡智中枢といい理知的で後部の発達したのは後叡智中枢いとい情操性で芸術的、真中のとがつているのは中叡智中枢で徳性統一調和型でこれは私が研究発表し、非常に興味をひいているところです。
自分の心がけで頭の形が変る、そして生れて来た子は非常に発達した子供が生れて来る。であるから頭の形が悪いといつてひけめを持つことはない。
高等動物は非常に本能が発達している。これは情操本能と自律本能である。自律本能は生命の衝動で働き、情操は自律より一段高い本能で人間は情操本能によつて自律本能をコントロールして行く、この本能を働かすものはホルモンで「生体の各器管を統師するのは神経系であるがホルモンは神経系を統師して各器管の営みに調和と統一を与へている」のである。
社会というものは平凡に見ますと個人や家庭の方面、団体や国家能力や階級による精神的なつながりによる友愛、政治や行政面、道徳や法律の立場から、職業や経済から見た秩序、自然界の智識から歴史の示す事実から原理を悟る叡智から理想の実現に協力、努力する信念から成り立つている。
一歩進めて社会の福祉を促進するものは自然科学の発達と応用の進歩、社会意識の目覚め、生活手段の発達、宗教と人文科学による教養と、社会のあらゆる教育文化団体の力、国家及び地方公共団体の力、経済関係のあらゆる組織の力の一致、信仰に基礎づけられた魂の力、精神と身体の健康がもたらす実行力である。
自由というものは大きくわけると個人の自由(行動)思想の自由(判断)言論の自由(発表)と三つに分けられ三大自由の使い分けによつて三大社会悪、即ち孤立、独善、享楽による封建社会が出来また三大社会正義が生れ秩序、組織、機能がよく行く文化社会が出来るのであり自由人権思想の覚醒から一九四八年に世界人権宣言が出されたのであります。
アメリカは信教と思想の自由、ヒユーマニズム的自由人権、自由企業主義、国際的自由統制主義による自由主義国家です。
デンマークは宗教的友愛精神による協同、教養による社会の有機化、国家的経済統制による教養主義国家です。
スイスは地方分権の撒底による完全自治、宗教的教養による文化向上、国際主義的文化による文化国家です。
ソ連は生産国営一国社会主義、物資必要基準による平等配分、過渡的強権統一による強権統一国家主義である。
社会そのもののために行う「社会政策」行政で行う政治的な「社会的政策」不幸な人々に対する局部的な「社会福祉政策」により現在の社会は発達して来ている。
以上を綜合して教育はどういう風にして行つたらよいかというと子供の中に躾け教育を行はなければならない。これは伝統の良風美俗で十二、三才頃までに教えなければならない、これ以後になると批判的になるこれまでの時代は仕込まれる時で非常に大切な時代である。
次の二十四五歳までは世渡りの基礎教育時代次は概念教育即ち科学教育時代で叡知教育時代に入り人間の質の向上を図るのであつて綜合生活水準の向上時代であります。
年令的に十四、五才までは保護を要する時代で二十才頃までは指導監督を要しこれ以後は叡知教育により主体制が確立、二十七、八才以前は主体制を形成する時で、以後は人間の本質を発揮する時代です。
主体制の確立によつて人格の三条件が必要となつて来るのであります。これは自覚(主観)統一(秩序)理想(機能)です。
綜合的な結論を申しますと、私達は生命力をもつている、生命力には自然性、霊性、自由性というものがあり自然性の逆コースを行くと自然本能に盲従する無知の悪となり自然性の逆コースを行くと自由の逆用乱用により文化への反逆性即ち罪を犯すことになる。両方を相和して霊性によつて良識、善意が働き芸術、道徳、哲学、政治、経済、科学が生れ、よりよい社会となるのであります。
『投書』
『髙い炭礦の物価』
炭礦の物価の高いのは今更はじまつたことではないし私達にはもう慢性になつて何とも感じないのであるが、炭礦は賃金がよいから少し位の物価の高いのは当り前と見逃がしてよいのだろうか、省納炭が六、七百円の値下りを来している、これが直接一、二ケ月のうちに働く者に響いて来るとは思われないがいづれ炭界に影響するであろう、このことに対処して行く考えも必要であろう、同じ道内の都市に比べて倍以上の値段で売られている品物もある。
都会並といわなくても購買力が旺盛なのだから妥当な値段がある筈である。
組合辺りも経済斗争が本分であると幹部諸氏の言をよく聞くが、会社に許り食い下つていないで高物価を抑制するのも経済斗争の一つではないだろうか、会社も従業員の生活向上の為何等かの策を施してほしい。各商店も炭礦あつての商売であるから良心的な値段であつてほしいものである。(雷親爺)
『もつと親切に』
会社の配給所で物を買う度に感じるのですが販売係員がもう少し親切丁寧であつてほしいと思います。
会社の配給所ですから商売人と同じ様にと思いませんがお金を出して品物を買うのですから係の方も事務的に片づけるということはいけないと思います。(一主婦)
築炭ニュース 第41号(昭和28年5月15日)4面
『原爆』
『ピカは人が落さにや落ちてこん 丸木位星 赤松俊子』
原爆にあつてあの時の恐ろしい状況を「原爆の図」として丸木位里、赤松俊子さんが書きあげた、この絵について何かをいいたい、またそのよき影響についても何かいいたい、しかしそうした文筆よりも直接二人の絵と言葉との一部分を紹介し読者自身で批判していただいた方が効果的だと信じそのままを紹介する。
八月六日、私たちは伯父を失い、姪を殺しました。数多くの親しい近しい人々を失いました。私達は死んでいつた人々の冥福を祈るために、生きながらえるべき生命を、人間の科学の力で断たねばならなかつた最大の不幸を描き残さねばならぬと思いたちました。
画面の中で一人死に三人倒れ、血を吐くもの焼けただれて泣き、おろおろと歩くもの、黒くこげた赤ん坊、私たちは一人描いてはぞつとし、二人描いては胸を痛め、幾度か筆をおこうと考えました。
青白く強い光、爆発、圧迫感、熱風、そうして次の瞬間には火がついた、めらめらと、ごうごうと燃え、天にも地にも人類が、いまだかつて味わつたことのない音と響きの、次の瞬間の静寂を破つて、火は燃えていつたのでありました。うつぶせて家の、下敷になつたまま失心して、そのまま乙女は焼け死んでいき、気がついて出ようとして、紅蓮の焔につつまれて死んでいつた人々。
(凸版説明)
<凸版>①
①原爆で残されたお婆さんは、毎日絵をかきはじめました、それは明かるい美しい絵です。お婆さんは今日も「ピカは山崩れたア違う、人が落さにや、落ちてこん」といいながら真赤な花や可愛いハトを画いています。
<凸版>②
②八月六日、沢山の人に召集令状が来ました。煙草屋のせがれにも赤紙が来ました。ポツダム宣言は七月二十六日に出て天皇は勿論、近衛も東條も鈴木首相も知つていました。知らなかつたのは、お婆さんをはじめ日本国民だけでした。
<凸版>③
③空はカラリと晴れて、ヒロシマの太陽はかくかくと照つていました。ヒロシマだけがB29にやられていないのが、かえつて不吉に胸をうつています。
<凸版>④
④ピカ、ドンときました。爆心地では、足だけ二本、ぴつたりとコンクリートの路の上にはりついて、つつ立つていました。また電車の中で、娘さんが手さげをしつかり握つたまま、傷もなく、黒こげの兵隊さんと頭をつなぎ合せて死んでいるのがありました。生きているような娘さんの姿に、不思議なこともあるものだとうわさしています。
<凸版>⑤
⑤爆心地にある兵営の営庭には、敬礼姿のまま、戦友達が立つている「オイツ」と肩をたたいたら、ザラザラと戦友は、くずれおちました。
<凸版>⑥
⑥山手では、朝早くから草とりをしていた息子は素はだかのまま、立つていました。脇の人は前半身に大やけどをしました。
<凸版>⑦
⑦町をあるくと、シカバネの山に行きあたりました。川の中の魚が、ひたひたと、おしよせて来るように、キヨロりといつせいに目玉が追つて来ました。
<凸版>⑧
⑧傷ついた大ぜいの人達は火による虫のようにお婆さんの家に集りました。ピカのあと、逃げないで消火につとめたのは、このあたりで、ここ一家だけでした。
<凸版>⑨
⑨爆心地から、遠くはなれたところの南瓜はピカに向いた側がみんなくずれています。空腹の人々が、あらそつて拾つて食いました。
<凸版>⑩
⑩召集軍医の藤尾さんは、わしの足の中に、かたまりが三つ四つある、死んだら解剖して研究につかつてくれといいながら十日たたぬうちに息をひきとりました。
<凸版>⑪
⑪そのころ、人の血を吸うハエが発生しました。七十五年間は草も木も生えない、だから人も住めない、といううわさがひろがりました。
<凸版>⑫
⑫女学校の動員でやられて帰つた孫娘は二日目に、いとこの與一じいさんは三日目に息をひきとりました。だれも焼いてくれる人がないので、おじいさんとおばあさんが、畑に穴を堀つて焼きました。「情のうて、情のうて」
<スローガン>
きようが そうで あつたように
あすも 希望の 一日であれ
希望は 健康と ともに
そして 健康は いつも
心明かるく 働く者の
規律正しい 日課の上に
『随筆 産制 藤井一夫』
友人が話の折に「かかあ-に薬を呑ましたんだが生れてしまつた」とこぼし「どうも上の子との間が近すぎるしと思つてね」と語つていたが、結婚後長くもない友人としては年子に年子のようでは楽しいスイトピーから経済的な面に追はれあくせくするのが考えられたのでもあろうが、これが失敗と解つたとき生れて来る子供が薬により「当り前の子供ではない」のではないかと日夜心配で心配でたまらなかつたそうだ。
余裕のある文化的生活などと一応は一般人の考える小さな望みだ。「これ以上出来たのではどうにもならない」「まあ三人位、だがもう三人になつてしまつた」というこの友人も三十にはまだ二、三年あるのだから、このままでは一ダースは大丈と、いうのも限られた収入では真剣ならざるを得ないし無理もない。
子供がなくて離婚などということを聞くが子供を産み過ぎて離婚ということを聞いたことがないから、産む方がよいのかも知れない。
こんな抽象的なことは別として人口過剰によつて、最も大きな生活の根本である就職も思うようにならないのだから、生れて来る子供の事を考えたら自分の幸福を願うのと同じ位に子供のことを考えてやつて産制を行うべきだ。
無計画に産みつ放しをされて、放り出されるのでは生れて来た子供が可愛想である。
早大の某教授が人工姙娠研究の権威者として渡米する、産制のサンガー夫人のいるアメリカで人工姙娠の研究会議があるとは皮肉なもの、と新聞に出ていたが、子供を授からない少数の人々を救うのも大切であるが、より多くの人々を救う道を徹底的に行うのもより一層大きな問題ではないか。
こんなことを友達の話を聞いて考へさせられた。
築炭ニュース 第41号(昭和28年5月15日)3面
『中共引揚 我が子が帰つて来る 喜びの光賴スミさん』
中共引揚再開によつて新聞、ラヂオでは連日引揚者、近親者の喜びの状況をつたえ、全国民に久方振りに明るい話題を与えている。
第一、第二船便を終りいまや第三便が用意されている●、我が子我が母は何時の引揚船で来るのかと再会に運命を懸けている人々の中に、我が子孫が来ると老の身を娘(ヤス子さん)の嫁ぎ先である築別炭礦旭寮管理者大倉理一さん方で、一日千秋の思いで毎日を送つている光賴スミさん(七十五才)がいる。
スミさんの待つているのは息子の午三郞さん(五十四才)孫の正春さん(二〇才)滿齊子さん(十六才)紀代子さん(十四才)の四人(午三郞さんの奥さんは亡くなつている)で午三郞さんは昭和八年満洲チチハル電報電話会社に勤務のため渡満、終戦時には技術課長をしていた。
国府、中共の進駐により会社は接収され数少い技術者として厚遇されたが、一緒にいた大倉理一さんが引揚げる昭和二十二年九月には満人に技術を教えるまでと抑留されて引揚げることも出来ず六人の子供さんのうち大倉さん達が引揚げた直後二人を失い「一番悲しかつた」と便りを寄せ一番下の女の子を大倉さんに託し築別炭礦へ来たが昭和二十四年小学校へ入学して間もなく八月に病に侵かされ亡くなるなど光賴さん一家は四離四散の悲しい運命を辿つた。
昭和二十四年春頃より年に一回位づつ文通があり、中共治下の状況など知らして来ていたがスミさんとしてはもう逢えない「私が死ななければ帰つて来ない」とあきらめていたものの、本年三月に入つて午三郞さんから五月頃帰れると便りが届き、スミさんとしては満洲へ行かず内地にいたため実に十六年振りに逢えると「帰つて来たら……え…嬉れしくて、もう長いこと逢いません、もうこの子(ヤス子さん)一人やと思いましたが帰つて来れば二人になります」と喜んでいるが又奥地のため五月には見込みがないのではないかと大倉さんと一喜一憂に明け暮れている。
帰還の時はスミさんの故郷である京都へ迎へ旁々見納めに行きたい、また大倉さんも住宅、就職と暖い心で迎えてやろうと心を砕き「赤に染つて来なければよいが、来て見なければ解らない玉手箱と老の身を喜びの中にも案じているスミである。
『楽しい学校』
<写真>
お父さん、お母さん、御安心下さい。僕達は私達は一年生になつてもう二十日になります。すつかり皆んなと仲よしになつて毎日元気で楽しく学んでいます。学校はほんとうに楽しいところです。
<掲示>清掃美化週間 自六月一日 至六月七日
『人の骨をたべると結核はなおる まだまだこんな迷信がある』
迷信で治ると信じているから迷信であるが日進月歩に偉大な進歩を遂げて来たつた近代医学の恩典を享けている現代人には「迷信」を笑殺してしまうがまだまだ現世にもいたるところに「迷信」を信んじている人が意外に多いのである。
迷信療法によつて「病」の効果がなかつた位いで事すめばよいがその為に病状を悪化したり一命を落したりしている場合が迷信の効果となつて現はれるから恐ろしいものである。
我々の周囲に迷信療法を信じている人がいたら進歩した医学を信んじるように指導して下さい。
△大阪府予防課では、結核に関する迷信について全国調査を行つたが、このほどまとまつたので紹介する。
○肺病で死んだら、その家のいろりのカギを切ればその後に病人が出ることを防げる。(石川県鴈至那輪島町附近、珠洲郡地方)
○死人の骨をたべると肺病が治る(石川県河地郡地方)
○死人を火葬した後の骨を粉末にしてのむと効用がある(岐阜県地方で、火葬場の人骨が時々盗まれることがある)
○火葬後の灰をのむとよい(岐阜県地方では灰は肺に音で通じているかららしい)
○スツポンの生血をのむとよい(大阪府池田地方でいはれ、実際にのんだ人もあるか、効果なし)
○お寺へ(寺の名は不明)おまいりするとセキどめになる(愛知県南設楽郡長篠村地方)
○背部に一ケ所、ヤイトをすえると結核は全治する(大阪府池田地方)
○肺病で死んだ人顔に、死後すぐに紫の布をかけると伝染しない)
○天理教を信仰して祈祷するとよい(大阪府桜町、泉南郡熊取村地方)
○肺病は、不潔な場所に井戸をつくつたために、水神のたゝりがきたので、岩手県地方)等…
『炭砿展望』
炭礦で生活する者はどの炭礦がどうであるか位は知つてをく必要がある、何故なら自分の炭礦の炭界に於ける存在が判らないし、進歩発展への目途が生まれないからである。
立地条件の悪い築炭は「井戸の中の蛙」と云つて過言でない位、他の炭礦事情を知らない人が多い。
「井戸の中の蛙」が悪いかよいかは別問題として、道炭礦の事情位いは知つてをい損でないはずである。
本欄は、出張や旅行で得た見たまゝ感じたまゝの寄稿である。
『昭和鉱 完備している福利施設』
留萌線恵比島駅より私鉄留萌鉄道線に乗替え夕闇迫る窓外に電灯のともらない農家が点在する。終点が昭和、翌日労働課の稻川さんが案内してくれ、事務所は公休で少数の人が出勤しているばかりでガランとした室内は綺麗に整頓されて気持よい、山の気風を表はしているようだ。
福利厚生施設としての糞尿処理場を見せて戴いたが立派なものである。完全に消毒濾過され谷川に濾過となつて流れ出るようになつている。
夏の恐ろしい伝染病に対する徹底的な防疫対策の一端が伺われ、上水道、寮、会舘も完備、鉱員倶楽部に立派な撞球台が一台備えてあり至れり尽せりだ。
築炭以上の山狭にあつて谷から谷間に社宅が建ち不自由が想像され、不自由を克服して増産に協力している従業員のための福利施設として、尤もとうなづかれる。
出稼も非常によい、わずか三時間余の見学であつたが、大手とは云え昭和鉱だけでは築炭とほぼ同じくらいである。負けたくないと思つた。(上田正年)
『北夕炭礦 こんなところもある』
途中駅滝川に着いたのが夜の十時過ぎ明朝四時までの一夜を待合室で過したが私達炭礦人は必ず各自が職場を持ち遊んでいる者がいないのにくらべ十数名のルンペンがいるのには(然もその中の五、六人は青年である)一寸考えさせられた。
清水沢よりの夕鉄は問題にならないお粗末さ、さすが築炭の客車は自慢するだけある。
此処北夕炭礦は従業員七百余名だが家賃三百円、電灯料一灯に付五十円、浴場は一回拾円、石炭は屯当り三百円で運搬は自己負担、映画料金も六十円少し良い映画になると百円は取られ一里の道を行かなければならないそうだ。
これに比べると家賃電灯料は無料、風呂は入り放題、石炭は家の前まで運んで屯二〇円映画も普通日は一〇円公休日は無料とたいした違いだ。
夜間は不良の徒輩が横行して婦女子は満足に外出も出来ない程風紀や取締りが乱れてをり又日共の暗躍が激しく従業員を迷す策動と煽動で日常生活に不安を与えているようだ。
夕張地方の炭礦にくらべて不便な山の中に生活する私共、と思つていたが夕張地方にもこんな恵まれない所があると思うと「平和」な築炭に切実な愛着を感じました。(上村繁)
『安全衛生』
『蔭の声をきけ』
△………
美しい顔、つやつやした肌が、アバタだらけになる。そして死亡率も高い、しかもこの天然痘はだれでも逃れるコトができない宿命的な危険性をもつ。
△………
せつかく予防接種が考えられても学者、民衆ともに協力しようとしない無理解と反対。
△………
ジヨージ、ワシントンは、この予防接種に理解を持ち、その有効なコトを信じ、これを宣伝した。だが名声あるワシントンにしても賛成者を集めることが困難であつた。
△………
しかし彼は「何とかして人々に、この恩恵を与えたい」と考えて、自己の名声と権力のすべて投げすてるカクゴでトレントンとプリンストンのがいせん軍隊兵士に種痘を実行させた。
△………
その時、彼を批評した世間は「だから一七七七年の戦いは負けたのだ。神がこどもに贈るにふさわしいと考えた疾病に対し、生意気に干渉した一将軍の不信仰が原因だ」といつた。
△………
医学、衛生学の歴史は、偏見との戦いで作られている。外科医はその初期には人のカラダを切り開いて、病む組織の一切を取り去ることは文句なしに「不敬」とされていたマスイ剤の使用は「人の疾病の苦痛は人間の練成であり神の意志だ」と主張する世間から反対された。また近世のパストウルが伝染病は細菌からくることを主張し、外科手術の悪化は殺菌していない手術器具を使用するからであることを実験しても誰も信用しようとしなかつた。
△………
いまアメリカでは「少数者の意見を聞こう」というコトが大きく叫ばれるようになつて来たこれは安全衛生を実行しようとするものが常に考えなければならないコトである、なぜなら実際におきた過失を追究し、探究することによつて、常態から過失をなくそうという職責であるからである。
△………
「あの人は事故で倒れるまでは、全く普通で健康でした」というが、われわれは、この時にも「陰の声」をきこうとする、陰の声は「彼はただ丈夫そうに見えただけで、実は長い間病んでいたのである、それは小さな障害がつもりつもつたのであるしつねに使用されているものの摩耗とほころびは除々に来る。人は大なる爆発の局部だけを見るが陰の声は「導火線やマツチの役目をみのがしてはならない」と叫ぶ。